私がまだ中学生だった頃、書店に立ち寄った際に手に取った一冊の絵本。
「木を植えた男」ジャン・ジオノ原作 フレデリック・バック絵 寺岡 襄(てらおか たかし)訳

「木を植えた男」

当時はまだ読書好きでもなかったのですが、その美しい挿絵と文章に惹きつけられてどうしても欲しくなり、買った絵本です。
物語に深く共感した私は、以来ずっと大切に持ち続けてきました。

フランスのプロヴァンス地方の荒れ果てた大地を、ひたすら木を植え続けるという行為によってよみがえらせた一人の男の物語なのですが、こうしてサラッと言葉にしただけでは到底伝わらない大切なことが、この本にはこめられています。

同作を原作にしたアニメーションも公開されており、youtubeで観ることができますので紹介させていただきます。約38分間の動画です。(フレデリック・バックのインタビューが冒頭と最後に入っています。)



この物語はフィクションで、エルゼアール・ブフィエ氏も実在しない人物であるということがわかっており、そのことを知ってショックを受ける方もいらっしゃるようですが、私はあまり気になりません。

作品にこめられたメッセージは世界中の多くの人々の心に響きました。
それこそが大切だったのだと、私は思っています。

創造はどんなものでもまず内面で芽吹き、それを外の世界(現実)に表すことで実在のものとなるからです。


一人の男が成し遂げた神の御業に等しい行為。
普通の人間には到底なしえないことであるかのように思えますが、その神性は私たちの内面にあるのです。

だからこそ、彼の行動に共感できるのだと思います。


ほんのささいな行為の中にも自他へのやさしさは隠れていて、自分でそうと気づかなくても彼のように神性を発揮している人は、先人たちを含め案外そこかしこに存在するのではないでしょうか。
彼がしたことは「普通の人間には不可能なこと」なのではなく、人が持つ神性のあらわれだと思うのです。


「木を植えた男」の冒頭の一節からの引用です。

人びとのことを広く深く思いやる、すぐれた人格者の行いは、
長い年月をかけて見定めて、はじめてそれと知られるもの。
名誉も報酬ももとめない、まことにおくゆかしいその行いは、
いつか必ず、見るもたしかなあかしを、地上にしるし、
のちの世の人びとにあまねく恵みをほどこすもの。

木を植えた男


今ある自然も、地球と彼のような先人たちが共生する中で育まれてきたものなのかもしれません。

その計り知れない価値を理解し、守り育んでいくことができれば、追い求めなければ得られないと思い込んでいた豊かさや幸せは、そこに発生してくるのです。


共に生きるということによって…。

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