イネにとまるトンボ

5月。
田んぼに水が張られ、田植えが始まる季節です。

大地の大鏡に空が映る様は人が創る神秘的な景色。
農作業に勤しむ人の姿に「美」を見て感謝が湧いてきます。


私は田んぼが好きで、田園風景というものにすごく惹かれるのです。

幼い頃、田んぼが遊び場だったからかもしれません。
「田んぼが遊び場」なんて言ったら現代なら叱られてしまうのでしょうか?

生き物を捕まえるために毎日通った田んぼは、私にとって最高の遊び場でした。
オタマジャクシやカエルや亀、カブトエビ、ホウネンエビ、シマヘビにフナ。トンボ…。

生命という大いなる神秘は探究してもしても、全く飽きることがありませんでした。

それは今も変わりません。

でも田んぼの様子は、私が子どもだった頃とは少し違っているように感じます。
昔のようにたくさんの生き物がいないのです。

薬剤散布や農地の整備など色々な要因があるのでしょう。
薬剤に頼らなければやっていけない農業の現実というものもあるのかもしれません。

でも、やっぱり残念でなりません。


この方向に進んでいくことが、本当にいい道なのだろうか。
何か他にまだ知らない道があるのではないか…。

農業の「の」の字も知らないど素人が語れることではないのは承知の上ですが、「知らない」ということを「知っている」ことは既存の概念に影響されない新しい可能性を秘めています。

どうか、大目に見ていただきたいのです。


問いの答えを探し求めて私が見つけた道は、「全生命と共に在る」ということでした。

あさるようにして読んだ300冊以上の本の中から、一冊の本にその道のあり方が示されていたのでここでご紹介したいと思います。

「究極の田んぼ」岩澤信夫[著]

耕さず、肥料も農薬も使わない農業

以下、本の内容紹介を引用します。

怠け者、変わり者と笑われながら、長年の試行錯誤と工夫の積み重ねによって、田んぼを耕さず、農薬も肥料も使わずに多収穫のイネを作ることに成功した男の物語。耕さない硬い田んぼゆえに、かえってイネが強く多収穫になり、冬にも田んぼに水を張っておくことにより、イトミミズが繁殖し、その排泄物が雑草を抑制し、豊かな肥料にもなってくれる。田んぼの食物連鎖によりメダカ、アカトンボ、カエル、ガンなどの生きものが集まる自然豊かな田んぼが日本各地に生まれている。
 不耕起移植栽培の普及と環境再生農業の提唱で2008年度吉川英治文化賞に輝いた著者が、市民と農家が共に楽しめる、地球と人と生きものに本当に優しい市民農園・村おこし構想を提言する。

「究極の田んぼ」岩澤信夫

田んぼを耕さないなんて、ものすごく勇気のいることですよね。

既存の概念にとらわれない新しい稲作の探究は、最初は周囲の理解が得られず苦労されたそうです。

耕さない農地にイネを植える専用の田植え機の開発にも尽力されて、おかげで耕さない田んぼにも機械による植え込みが可能になっています。

「肥料を使わない」とありますが、これは化学肥料のことです。
田んぼに生息するイトミミズの数が十分になれば、その排泄物が肥料になって施肥の必要がなくなるのだそうです。
イトミミズの繁殖を促すために、田んぼに米ぬかやおからを撒くことなども紹介されていました。

同著者による書籍「不耕起でよみがえる」にはより専門的なことも述べられています。田植え機を製作している企業の連絡先なども記載されていますので、ぜひ参考になさって下さい。

全生命と共に在る農業

生きるということは人だけに与えられた権利ではなく、全生命にある権利です。
そして生命の循環が整えば、そこから得られるものはとても大きいのです。

昔の人はみんな知っていたことを、現代に生きる私たちはいつの間にか忘れてしまいました。


生命の循環が整った田んぼは、ものすごい環境浄化の力を発揮し、水をきれいにします。
目には見えない微生物から、魚類、両生類、昆虫、鳥類と食物連鎖が繋がってその循環の中で、浄化の力が働くのです。

もし、広大な田んぼでそのような循環がうまく働けば、どうなるでしょうか。

死に絶えたと思っていた自然が復活したらどんなことが起こるでしょうか。


アレルギー疾患が増えている昨今、環境への関心は高まっています。

ホタルが舞う田んぼのお米は全国から注文が殺到するそうです。
もちろん、ホタルをひと目見ようとお客さんもたくさん訪れます。

渡り鳥が飛来するのを見にやってくるお客さんも。

田んぼが育んだ生命が町おこしにつながるなんて素晴らしいではありませんか。


そんなのはただの夢でしょうか?

実際にこのようなことを実現している田んぼは全国にあるのです。

もうすでにそこに在ったものが光りだす

全国各地で村おこし、町おこしが叫ばれていますが、
私はどんな町であれ、その土地の魅力はもうすでにそこに在るはずだと思っています。


もうすでに在るものとは何なのか。

実は、私たちの脳はこれを認識することが最も難しいのです。
脳はもう知っていることの真実の姿は見えないようにできているからです。

でも、復活した自然が見せてくれる姿にはおそらく誰もが驚くのではないでしょうか。

「復活する」ということは、未だ知らなかった、すでに在ったもの。

元々在ったのに、生かせなかった生命の光なのです。

平泳ぎならまかせろヨってんだ〜!

木を植えた男

耕さない農業でよみがえる土 

おにぎりにこめられたもの