秋。
黄金色に輝く田んぼを見ると、感謝とよろこびがこみ上げてきます。

私の住む与謝野町では、黄金色に色づいた田んぼの上を、赤トンボの大群が飛んでいました。
あんなにたくさんの赤トンボを見たのははじめてのことで、とても感動しました。

きっと今年の新米は、格別だろうな…。
食いしん坊の私は、トンボの群れを見てそんなことを考えていました。
ちょうど米びつの中身が少なくなってきていたので、お米屋さんを訪ねることに。

ところが、気が早すぎました。
お店の方に、「新米まだなんですよー。もうあと1〜2週間待ってもらえたら、入ると思うんですけどね。すぐにご入り用なら、5kgくらいの小さいのにしときなったら(されておいたら)どうですか?」と提案を受けました。

私はお店の方の心遣いに嬉しくなって、「新米、待ちます!」と、その日は手ぶらで帰ったのです。

なんて思いやりのある商売をされるんだろう…。

私は「新米ください。」と言ったのではなく、「お米ください。」と買いに行ったのです。
利益だけを考えるなら、今あるお米を売ってしまえばそれで済むはずです。
今回はちょっとタイミングが合わなくて残念でしたね〜で、終わらせてもいいのです。

お客さんに、新鮮で美味しいものを食べてもらおうという心遣いに、感動しました。
作っているもの、仕入れているものに自信がなければ、このようなことは言えません。

人の心の温もりも、与謝野の町の魅力です。

田を見てひまわりを見ず

私がはじめて与謝野町を訪れた時、その広大な田園風景に圧倒されてしまいました。
田んぼが好きな私は、バスの車窓から見える田んぼに目がくぎづけです。

季節は夏で、ちょうどひまわり畑で催し物が行われていました。
ひまわりを見るはずが、私は周辺の田んぼばかり見ていて、せっかくのひまわり畑をほとんど見ていなかったのです。

気がついたのは、「どうだった?」とたずねられたときでした。

田んぼが、稲が…と感想を述べる私に、「ひまわりわいや?(ひまわりは?の意味)」とつっこまれ…。
「…背が、高かったです…。」とこたえると、
「そんなこたあ、わかっとるわなあ!」と、またまたつっこまれてしまったのでした。

今は亡き義父との、懐かしいやりとりです。

私は田んぼが好きというだけで、農業については全くの素人ですが、黄金色に輝く田んぼを見ると感謝とよろこびがこみ上げてくるのです。
これはもう、DNAに刻み込まれているのではなかろうか…。と思います。

日本の多くの方と共に、このよろこびを分かち合えたら…との思いから、私が感じている感謝とよろこびをつづりたいと思います。

美しい風景を見せて下さったことに、感謝します

春は田植え。
水が張られ、大地の水鏡となった田んぼが空を映し出します。
水田の中をゆっくりと進む田植え機と、農夫の姿にも美が宿っています。

夏。
青々と育った稲がサワサワと風にたなびくさまは、まるで緑の海のようです。
稲の花は咲いてからたった数時間で閉じてしまいますが、その儚さが桜の花に似ていることから、日本人は桜を愛でました。
桜はお米の豊作を祈る、希望の花です。
稲の花が咲く短いひと時は、桜が咲く時と同様に、神秘的な空気に満ちています。

秋。
黄金色に変わっていく田んぼ。
青く澄んだ秋の空と金色の田のコントラストには、赤いトンボがよく似合います。
収穫後の田んぼには、稲わらと土の匂い。
刈りあとから、再び芽吹こうとする稲の生命力に驚かされます。

冬は一面の銀世界。
日の光を浴びて、キラキラと輝く真っ白な大地は言葉を失う美しさです。
残された赤い柿の実だけが、マッチの炎のように白銀の世界を彩ります。

多くの生命を育んで下さったことに、感謝します

カエル、オタマジャクシ、ホウネンエビ、ザリガニ、タニシ、ヒル、ホタル、ヘビ、カメ、メダカ、トンボ、アメンボ、ゲンゴロウ、チョウ、ガ、アシナガバチ、バッタ、カマキリ、コオロギ、クモ、イトミミズ、バクテリア、プランクトン、それに鳥たち…

もう書ききれません。

田んぼは元々あった自然を、人間が開墾したものですが、生き物はそこにうまく適応し、餌場や繁殖地として利用するようになりました。
かつて人間がつくったものの中で、これほど自然との共生がかなったものが他にあったでしょうか。

生き物あふれる田んぼは、子どもたちが自然と触れ合い、やさしさや思いやりを育む場にもなっています。
センス・オブ・ワンダー 生涯消えることのない炎

そしてこれらの生き物たちは、自然の中でそれぞれ大切な役割を担ってくれています。
人間も自然の循環の一部なのですから、見えないところで彼らに支えられているのです。

水を貯え、浄化して下さったことに、感謝します

山岳地帯である日本。
日本の川は、外国の川のようなゆったりとした大河ではありません。
急峻な地形では、降った雨は一気に川を下って海に注いでしまいます。
そのままでは大切な土壌も、流されてしまうばかりです。

田んぼは水を貯え、降った雨が一気に川に流れ込むのを防いでくれます。
それだけではありません。田んぼの生き物たちが、水を浄化してくれるのです。
浄化され、ゆっくりと地下に浸み込んだ水は、時間をかけてまた川の流れになります。

森と田んぼは、水害の脅威から私たちを守り、豊かな水を絶え間なく送り続けてくれているのです。

おいしいお米をつくって下さったことに、感謝します

私たちの命を養ってくれるお米を育てて下さった農家の方々に、心より御礼申し上げます。

お米は、私たちの主食です。
3千年近くもの間、ずっとそうしてきました。
貯蔵することができるお米という食料があったから、命をつなぎ、人口を増やすことができました。
その安定した食料があったおかげで、日本の文化は花開いたのです。

農業は林業を支え、林業は漁業を支え、漁業は農業を支えて、美しい循環の輪をつくってきた日本の文化は、世界に誇れるものでした。
伊根湾 海と人、そして森


…でも今、それは衰退の一途をたどっています。

現在、日本は食料を他国からの輸入に頼っている部分が大きいですが、増え続ける世界の人口を地球の土壌で養っていくことを考えると、自国の食料はできるだけ自国でまかなえるようにするのが、マナーです。
お米は、100%に近い自給率がありますから、お米を食べることで食料自給率を上げることができます。
農家を守り、米を中心にしてきた日本の文化も継承していけるのです。

お米を食べましょう。
地元でとれたお米を食べて、農家の方に感謝を送り、農の火を絶やさぬよう、みんなで心を合わせましょう。

よろこびを広げよう

3週間待った甲斐がありました。

つやつやの新米はそれだけでご馳走です。

お米は保存が効くし、どこの家庭でも食べられますから、贈り物としても最適です。
重くて、買ってくるのも大変なお米は、贈られると嬉しいものです。

新米がとれるこの季節、大切な方への贈り物にお米を選び、よろこびを広げてみてはいかがでしょうか?

私も早速、母と、いつも故郷の味覚を届けてくださる親戚に、感謝とよろこびをこめて、美しい自然に恵まれた与謝野町の新米を、贈ろうと思っています。

おにぎりにこめられたもの


田んぼは環境浄化と町おこしの力を秘めている


曼珠沙華の散歩道